世界はするりと片付きもうす

雨。寒すぎる。こんばんは、寺本莉緒です。新年度ということだが、社会人を8年も9年もやっていると新鮮さとかいうものは全くない。いま住んでいる川崎のアパートも、気付けば実家の次に長く住んでしまった。

さて、最近はこのブログは3〜5日間に一度くらいのペースで更新しているが、これはかつての俺(10年以上前)に比べると半分以下のアウトプット量だと思う。高校生の時にやっていたブログは、まいにち1000文字以上の記事を書いていたし、当時流行っていためちゃくちゃ改行するスタイルもやっていたし、好きな女の子の誕生日をパスワードにしてラブレター的な日記を書いたりもしていた(きも)。二十歳くらいのときのTwitterもなかなかの頻度で、API制限で投稿できなくなるまで毎晩ツイートしていた。それだけ吐き出せる蓄えが俺の中にあり、それを蓄えられるだけのインプットがあったということだと思う。街を歩くだけで自分の感受性が(どちらかというと負の方向へ)刺激され、それを言葉に変換し、出力する。大学の講義も良いインプットになっていた。俺はマンモス大学にいながら友達がひとりも出来ず、地元から一緒に上京してきた同級生にくっついてなんとか学生生活の交友を乗り切っていた。とはいえそういう機会は稀で、1週間のうち5日間くらいはひとりで過ごした。そうした俺の孤独を埋めていたのは糖質と脂肪と洋服と哲学だった。食べ物ともかく、大学の講義で得られる学問の知識はキラキラとした宝石のようで、世界を自分に取り込む豊かな補助線のようだった。そのインプットを手がかりに、あるいは随分と卑近な形に希釈して自分の思考に役立てたりしていた。こうしたインプット→アウトプットによって表現される内容はきわめてくだらないが、そのサイクル自体が俺の思考の枠組みとか地盤みたいなものを補強していったし、同じような刺激に対してよりスムーズな思考と消化をもたらしていった。これに比例するように自分の精神はねじれていったような気がするが、、、

卒論をみてもらった教授の言葉でよく覚えているものが二つある。ひとつは、彼女が自分のブログに書いていたことで、「あれだけ好きだったバレエにも少しずつ感動しなくなっていった。こうしてどんどん現世に未練がなくなり、死ぬ準備をしていくんだろうな、と思う」ということ。以前に当ブログでも、童謡を例にとり好きな色のクレヨンから無くなっていき、残るのは興味のないものばかりになるということを書いたが、この精神性はこの教授から影響されている。もう一つは「幸せな人に哲学はいらない」という言葉だ。彼女はロシア文学が専門だが、大学教授というのはえらいので哲学や芸術論なども"教養"として知識を蓄えている。曰く「何かに違和感がある、自分と世界の間で齟齬があるから哲学を必要とする。いまの世界、生活を楽しんでいる人には哲学は必要ない、というか意味がない。だから莉緒ちゃん(俺である)も、何かたぶん、うまくいかないことがあるんでしょ」と。はーなるほどな、と思った。道理で哲学の講義には冴えないメガネばっかりいると思った。だいたい、メディア論とか教育関係、家族の在り方みたいな講義はイケてる空気を持った学生が多かったが、哲学系の講義は一気に教室内の色彩が消え、みんな下を向いてジットリとしていた。湿度も高かったんじゃないか?この「幸せな人には哲学はいらない」というのは、ずっと俺の心にある。哲学がいらなくなるとき、人は幸せになれる。

おっと、何が言いたかったんだっけ?そうそうアウトプットが減っている話だ。もしかしたら俺は少しずつ幸せに近づいているのではないか?哲学からは遠ざかっているし、仕事がしんどいということはある(めちゃくちゃある)が、学生〜20代半ばのような、生そのものに対するしんどさはかなり薄らいだ。当時は「はー死にたい!すごい死にた!未だかつてない死にたさ!」みたいな感じだったが、今は「まぁ死んでもいいけど生きてもいいわ」くらいの前向きさがある。それと引き換えに、俺の中身はどんどん空虚になっていく。外に出したい蓄え、俺の血肉を分けたような言葉は滅多なことでは産まれてこない。日々の多くのことが、自分の中のパターンに当て込まれ、スムーズにしかし極めて味気なく処理されていく。何の栄養もなく、ただ徒労だけを残して通り過ぎていく。生がどんどん作業になり、わたしの手から遠ざかっていく。しかし、それでも幸せに近づいている。わたし自身の豊かさを生贄に捧げて俺は平穏を得る。退屈であることを祈ろう。欠けているものを探さずにいられる日々を、満ちていることとしよう。そうあれかし。