曇りのち雨。はー飽きたわほんまに。こんばんは、渋谷凪咲です。
デートでいくサイゼリヤという話題は、世界線がループしてるのか?というくらいツイッターでは繰り返し話題になるが、「これが火元だ!」というツイートは全然みたことないわ何を契機にしてタイムラインが活性化してるのかよくわからないが、とにかくインターネットの人たちはこの話題が大好きだ。親しみのあるレストランで自分の中に知識があり、少し下世話で、概ね大義名分をもって叩きやすく、持論の展開も複数のレイヤーで可能なのがその理由かと思っている。「わたしはサイゼでも全然いいです」的な庶民派聞き分けいいヒューマンを気取ることもできるし、「金銭感覚や食事の感覚こそ大事だからそこでNOを出してもいい」という未来見据えてます系アプローチもできる、「場所ではなく誰と過ごすかだ」という人情味強めアピールも、「試すような行為になってないか?」的な恋愛強者的な立ち居振る舞いも、「いまの夫(妻)はサイゼデートからで〜」などという聞いてもいない自分語りだってできてしまう。発信者がどういうレイヤーで語るかによってサイゼリヤは様々な様相を呈するし、そのどれも到達難易度が低いので、潮干狩り的な言論レジャーとして楽しめるコンテンツになっているのだろう。
じゃあ実際のところ、あなたはデートでサイゼリヤ行きますか?と言われたら、まぁ俺は行かない。もう既に仲良くなってたら行くだろうが、これから仲良くなろうという時には行かないと思う。何故なら俺はめちゃくちゃかっこつけだからだ。いけてるお店を知ってると思われたいし、いけてる店で女の子と食事する自分に酔いたいからだ。出会い厨をしていた時は、毎週のように知らないお店に予約して、さも知ってる顔して女の子と食事していたものだ。ある日はそれなりの人数がいるオフ会で、店は俺が決めたのだった。そこに参加した女性(デキる系OLの方だったが)に「ここはなにが美味しいの?」と言われてたいへん狼狽したものだ。なにせ来たことがないのだから。「いや〜〜なに食べてもなかなか、、、」みたいな逃げをした気がするが、身の丈に合わないことはするもんじゃないなと思った次第である。それに、俺の場合、いけてる風のお店を探してアポとっても、それが実を結んだことはない。たぶん、"どこで"というのはスタート地点に過ぎなくて、その先でどう関係を作るかのほうが大事というごく当たり前の結論に帰着する感じもある。
サイゼついでに言うと、サイゼ飲みというのもしたことがない。何故なら友達が少ないからだ。関係あるか?ある。サイゼ飲みとは"コスプレ"みたいなものだからだ。制服ディズニーみたいなものだ。いい大人がサイゼで飲む必要はない。普通に居酒屋にいき、普通に飲んだらいい。安いとはいえ、たかだかひとり1000円かそこらの節約だろう。普通のお店、もしくはちょっといいコスパレストランみたいなとこに行った方が食事だけの満足度は高い(たぶん)。それでもサイゼで飲むのは、"そう"である必要がないのにあえて"そう"することの楽しさがあるからだ。我々は、機能的ではないはずの浴衣を着てお祭りにいったり、室内の方が快適なのに外で炭を焚いて肉を焼いてみたりするわけである。サイゼ飲みには、俺にはそういうイベント性があるように見える。そのイベント性を乗りこなすにはノリと勢いと気のいい仲間が必要だ。イベント性と個人は1対1では対峙できない。イベント性は着火剤にすぎず、火種は社会がもたらす。ディズニーにDS持って飛び込んだ俺が言うのだから間違いない。
晩ご飯は焼肉丼を作って食べました。ごちそうさま。