当ブログではなるべく熟語で書いてまいります

晴れ。花粉、きました。助けてください。こんばんは、中島セナです。

転職してから日記の更新頻度がぐっと落ちており、これは、新しい環境で働くことに脳のリソースがとられているから、転職によりストレスが減ったから、という2つの理由によると思っていた。そしてその2つともそうなのだと思うが、チャット文化盛んな企業で仕事をしていると「考えていることを文章として出力する」ということをめちゃくちゃしているので、出力の欲求みたいなものが満たされているのかもしれないと思うようになった。部署間に課せられているものの違いから議論が白熱することがしばしばあるのだが、それをしている時は、ウンザリ:ワクワクが3:7くらいになっていることに気付いた。若い頃は、出力したいものがたくさんあり、とにかくそれを発散させたかった。だが年齢を重ね、幾分か清濁合わせ飲むことも覚えてきた。情熱も薄れ、特に発散したい内容もなくなってきたいま、文章の出力は手段ではなく目的になりつつあるようだ。あるいは、このブログも最近では仕事の話ばかりしているから、出力したい内容もその手段も職場で完結してしまっているのかもしれない。

さて、いまの会社はIT系でグローバルかぶれのため、横文字が非常に多い。

「AOVのアップリフトについてはポジティブです」

「このモメンタムを維持したいですね」

「トラフィックをトランザクションに転換させたい」

「ユーザーのビヘイビアによってコミュニケーションを変えていく」

上記は俺が実際に聞いた会話であるが、古のネットミームである「パルスのファルシのルシがコクーンでパージ」を想起するような横文字の連続。そしてこれらの横文字の多くは日本語で十分に表現可能である。事業部に英語話者なんかいないのに、コストのかかる会話をしやがって、、と思っていたのだが、だんだんとその有用性も認識するようになってきた。横文字化することでその概念や行動や営為は名詞化される。定義が固まるので、認識の齟齬が防げて、円滑なコミュニケーションができる(語彙を覚えるという苦労はあるのだが)。また、誰の持ち物でもなくなり、抽象度があがることで、個人の"責任感"とか"人格"みたいなところに帰責することなく、構造での解決が促せるようになるなあと感じる。後者はもしかしたら横文字化の効用というよりは企業のコンプラ意識がそうさせている気もする。

俺はかねてより、こうした“意識高い系サラリーマン"みたいな存在には愛憎入り混じる感情を持っており、転職したからにはやってやろうと思い、伸びる素材のセットアップに無地Tで激イキリかまして見たりしていたが、最近は飽きてスウェットにジーパンで出勤している。横文字はむしろ、最初はすごい抵抗があったが最近はあまり気にならなくなってきた(ちょっと気になる)。郷に入っては郷に従え、朱に交われば赤くなる、麻中のヨモギという言葉もあるし、今後も私の活躍に目が離せませんね。