がんばれL.L.bean

晴れ。風が強い。こんばんは、カン・ヘリンです。

ブランディングというのは大変だと思う。これまでの実績を横に置いて、売れるかわからないコレクションを"一気に"つくって売り出す必要がある。それには多くのコストが掛かり、こけると莫大な在庫になる。うまくいけば新しい売上とファンを獲得し、企業の復活の足がかりになる。

3月に、L.L.beanの日本企画、L.L.bean japan editionが発売された。同社のヴィンテージを元に、トレンド感のあるリラックスシルエットに仕立て直したコレクションが発売され、自社およびセレクトショップ等で販売、たいへん好評なようで売り切れ続出であった。おれもハンティングジャケットとTシャツを買った。

先に言っておくが、L.L.beanの業績が不調なのか好調なのかをおれは知らないから、この日本での企画がブランドの立て直しのためなのか、さらなる売上アップのために行われているのかも知らない。だが、L.L.beanはここ数年閉店が続き、自由が丘にある大型店も閉店した。最近では伊藤忠商事がライセンス権を獲得し、販路を広げる取り組みが発表された。ライセンス権を渡すというのは、つまり伊藤忠商事L.L.beanの商品を勝手につくれるということで、前述のjapan editionも、この伊藤忠商事の企画なのだ。恐らく、japan editionに本家はぜんぜん絡んでなくて、自分のブランドなのに仕入れているのかもしれない。L.L.beanからすれば半ば身売りのような趣さえある。もし日本での事業が好調なのであればこんなことをする必要がないのではないか、とおもう。古着ならともかく、新品のL.L.beanなんてみんな着ているか?たぶん着ていないだろう。めちゃくちゃ"普通"なアメリカンカジュアルで、俺はズボンやシャツを愛用しているが、あの規模の売り場を存続させるほどの売上ができているとは思えない(L.L.beanの実店舗はどこもけっこうでかい)。販促もカタログがメインで前時代的な気もする。L.L.beanを取り巻くこうした最近の状況と、伊藤忠商事のライセンス権獲得やjapan editionの展開は地続きなんじゃないかと思っている。

前述の通り、japan editionは非常に好調で、売り切れ続出、大成功と言っていいだろう。ヴィンテージをリバイバルしたそれらは、90年代リバイバルの今日のトレンドにばっちりハマっているし、弾数が減ってきていることに悩めるヴィンテージラバーにも刺さっているように感じる。サイズ感がめちゃくちゃでかい(俺でSサイズが着られる)のは好き嫌い分かれるが、トレンド感皆無だった現行のL.L.beanに新しい風を作ったのは間違いない。伊藤忠商事、すごい。トレンドの分析やヴィンテージの解釈、それをプロダクトに落とし込む能力。素晴らしいです。L.L.bean本体にも頑張って欲しい。みんなもたまにはのぞいてみてくれ。アメリカのおじさんがきてそうなシャツやチノパン、アイビーテイスト漂うモカシンシューズなど渋いアイテムがたくさんだ。

L.L.beanと同じようなアメリカのアウトドアブランドで、惜しくも日本撤退したエディーバウアーも、伊藤忠商事がライセンスを取得し、再度日本での展開が決まっている。エディーバウアーもまた、ヴィンテージでは人気があるものの、新品はパッとしなかったブランドなので、再販売には期待したい。リブランディング、大変ですがたのみます。

もう夏服の話

 

晴れ。少し寒い。最高気温22度くらいでキープしてほしい。こんばんは、newjeansのハニです。

花粉症なので春は苦手である。春服を着るのは好きだが、その期間はすぐに過ぎ、気持ち的にもはやく半袖短パンで過ごしたい感じになってくる。5月くらいになると、梅雨になる前にいっぱつ短パン履いておこうか?という気分になる。短パンは好きだ。中学生ぐらいから短パンが好きだった気がする。30を過ぎ、完全にデブになったいま、短パンが奇妙な似合い方をしている気もするが、なんにせよ好きだ。半袖を合わせて虫取り少年になるのも好きだし、長袖のシャツを合わせてアイビーを気取るのも好きだ。

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これらの写真は、『君の名前で僕を呼んで』のワンシーンだが、アーミー・ハマー演じるオリヴァーの、キンキンの短パンにたっぷりとしたシャツを合わせるスタイリングがとても印象的。もっと涼しい服もあるだろうに、頑なにシャツを着ている。大人としての矜持だろう。足元のハイカットのプロレザーも渋い。短パンがここまで短いと見えてはいけないものも見えそうで怖くて履けないが、自分も短パンを履く時は膝上だけにして履くのが好きだ。ティモシー・シャラメ演じるエリオのスタイリングもいい。なんとも言えない、どこに売ってんの?みたいな柄の半ズボンに、赤みのあるブルーのポロシャツや細ボーダー。濃いめの色なのに本人の魅力もあって爽やかに仕上がっている。エリオといえば腕元のアクセ使いも見逃せない。

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チープカシオのデジタルに、大小のミサンガをたくさんつけているのがめちゃクール。なるだけオリヴァーみたいな格好で夏を過ごしたいと思っているけど、あまりに暑いので、バギーズにオーバーサイズTシャツみたいな逃げの一手(-(?)になってしまう。せめてバギーズをはくならエリオのような謎の柄にしたいんだが、古着で探すとバギーズではなくリバーショーツというのが出てきていい感じなのだが、これがまた高い。最近はエルエルビーンのチノ素材の半ズボンに、なるべくでかい半袖シャツでお茶を濁している。今年も半袖シャツほしいなあ。

新業態探訪

雨のち晴れ。花冷え←美しい日本語。こんばんは、土屋太鳳です。

グローバルワークローリーズファームを擁する株式会社アダストリアが新業態をオープンさせた。詳しくは以下リンクをご覧あれ。

紹介記事↓

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001826.000001304.html

公式↓

https://www.adastria.co.jp/brands/entry-15681/

EC↓

https://www.dot-st.com/cp/gw_sss

ということで、早速、先週の金曜日に見に行ってきた。当日は船橋のイオンのオープン日だったが、既にオープンしていたイーアス高尾に行ってきた。この新業態、スマイルシードストは、ららぽーととか都心の商業施設ではなく、郊外のモールへの出店が特徴である。施設全体のプライスラインが低く、食品スーパー等も入るような施設で、低価格を打ち出すことでより身近にファッションを感じてもらいたいというアプローチなようで、ゆめタウンなどにも出店するようだ。こちらは店舗正面↓

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GU的な二段がけの陳列。上下で陳列ができるため、面積あたりの陳列量が増えることと、上段にトップス、下段にボトムスを陳列してコーディネート的な提案ができることが強みの陳列形態。店舗の中はこんな感じ↓

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メンズとレディースがほぼ半々、少しだけ子供服も置かれている(写真なし)。

ポリエステルメインの服が多く、綿100%の生地はほとんどない。陳列什器の上方には、そこに陳列されている商品の機能とワンコメントが書かれたPOPが掲示されている。フィッティングは、ゆとりのあるレギュラーフィット。肩は落ちているがトレンド色は強すぎない。メンズについてはシャカシャカセットアップを軸にして、アウトドアテイストのブルゾンをフードの有無でバリエーション。レディースはストレッチデニムやベーシックなスカートに、ボートネックのプルオーバー、クルーカーディガン、ボリューム袖のシャツワンピなど。価格は、トップスは2900〜3900円、アウターは5900円、ボトムは4900円くらいだったと思う。ユニクロを強く意識したプライス設定だと思った。同じカテゴリーの服は大体同じプライスに設定されている。ユニクロの服は、プライスに対して"厚い"とか"重い"とか、"しっかりしてる"感じを重視してるように一方、スマイルシードストアは、"柔らか"、"軽い"といったソフトさを目指してるように感じるが、ちょっとペラいなあ、、、という感覚もある。特にカットソー系はけっこう薄い。アウター類がシャカシャカ寄りなのにインナーが肉厚でもバランスが悪いので、目指すバランスがそうなっているのだとは思うが、どうもユニクロと比べると見劣りするような(イーアス高尾は、スマイルシードストアのすぐ隣がユニクロである)。あと、写真を見ればわかるように、服の色が暗い。黒、ネイビー、カーキをメインにしている。グリーンやピンクもあるにはあるが、差し色というにはパンチが弱い色出しになっている。良く言えばストイックだし、陳列された売り場も綺麗にみえる。コンセプトの一つでもある「迷わなくていい」を表現していると言えるし、確実に売れる色だから売上をあげて結果を出そうという意志も感じる。悪く言えば、見ていてつまらない。選べるようで選べない。これはそもそもの品揃え自体にも言えるが、コーディネートの楽しさを感じない。まるで作業着のように、わずかなバリエーションからなんとか選ぶような売り場になってしまっている。シルエットが一様で、売り場に並んでる商品のどれをどう合わせても馴染む反面、無味乾燥で、服好きからすると満足感がない。無地でアノニマスな雰囲気が好きならちょうどいいかもしれない。「ユニクロやGUでは選ぶのに疲れる」「作業着的にカジュアルもこなしたい」「これを着ろと言って欲しい」というタイプにはうってつけかもしれない。そういう層は低価格でアプローチする服屋はあまりなかったかもしれないとも思う。もちろん、本当に今始めたばかりだから、これから色々とバリエーションも増やしていくのだろうが、ファーストインプレッションはそんな感じである。お近くの方は見に行ってみてね。

賃上げ音頭

晴れ。寒の戻りはつらい。こんばんは、平井ももです。

賃上げラッシュである。トヨタが労使交渉にて、賃上げに対して満額回答をした。新社長はずいぶんと悩まれたようだが、社会情勢を鑑み、またトヨタという企業の社会的責任もきっと鑑みられてベアに踏み切ったのではないだろうか。他にも任天堂ユニクロなど、大手企業は続々と賃上げをしている。今回の賃上げは、景気が良くなったとか金回りがよくなったとか、利益がたくさん出てるからとかそんなことではなく、ただただ物価高に押し上げられる形での賃上げになっている。つまり、人件費を余計に捻出できるようなイケイケドンドンの状態ではなく、だいたい昨年から横ばいくらいの利益をむりやり削って人件費にあてるような勘定になっているのではないだろうか(よく知らないまま書いている)。

物価が上がったとき、同じ数の人が同じだけ商品を買えば企業の売上はあがる。売上があがれば社員の給料も増える。給料がふえるから物価もそのままで成長できる、みたいな循環が理想なんだろうが、物価があがった分、購入量が減っているのが現状である。賃金が上がらないまま物価が上がってしまったから誰も何も買わなくなった。現状が既にねじれているから、どこかで無理をださないと打破できない。こういう時に、政府がどこまで力を発揮するべきなのかは良くわからないが、結果的には大企業が腹を括って賃上げして打開を目指している。賃金が上がらないと消費は活性化しないわけだから、中・長期的には企業自身を助けることにもなるのだが、その恩恵を受ける前に野垂れ死んでしまうほど企業は追い詰められている。イトーヨーカドーの衣料品事業からの撤退も記憶に新しい。だが、それでも賃上げしかないだろう。何も差し出さず、ただ好転を願えるような状態ではない。

なので、弊社氏、賃上げたのみます。弊社氏〜〜〜!!!!!

春服への憧れ(1年ぶり2回目)

雨。少し寒くなった。こんばんは、ive レイです。

春服というのは心が躍る。去年の今頃も同じことを言っていたが、今年もまた同じような気持ちになっている。ウールやダウンよりも軽快で、少しの重ね着やカラーを楽しめる。ただうっすら気付きつつあるが、世間的に春服と言われているものは春には暑いかもしれない。ここのところ、4月並みの陽気となっているようだが、もはや半袖でもいけるくらいの気候であり、薄手とはいえコートだのブルゾンだのを羽織る気にはならない。だから、ジーパンかチノパンにボタンダウン。あとは靴、おわり!みたいな格好になりがちなのだが、これがまた楽しかったりする。着る服が少ない分、ジーパンが細いから太いか、シャツが小さいか大きいかで気分を変えたりする。最近はもう完全にアメリカンダディスタイルも会得しており、特にこうしたワンツーコーデ的な場面ではダディ感がむんむんである。とっつぁん坊や、ヨーロッパにいる金持ちのガキ、などと言われたりもするが、俺としては心にダディを携えて街を歩いている。汗かきだから暑いのは大嫌いなのだが、それでも陽気を感じると、春を通り越してキンキンの短パンを履きたい気分になったりもしている。それよりもさっさと痩せないといけないが、、、

マスクとわたしとすずと

晴れ?寒さも今日までみたい。こんばんは、ユ・ジョンヨンです。

 

3/13より、マスクの着用を個人の判断に委ねるという政府見解がある。マスクの着用については一度記事を書いている( https://poppo.hatenadiary.jp/entry/2022/09/22/213140 )が、3/13についての政府の見解はひとつの契機になるだろう。弊社では、「その時々の状況によるが、基本的には個人判断としたい」とのことだ。さて、俺個人はというと、まあしばらくはマスクつけるだろうな、たぶん。花粉症だし。そうしてしばらくした外しても怒られなさそうになったら外そうかな。でも、政府がいい加減にマスクしなくていいよ、と言い出したのはいいことだと思う。感染対策に本当に効果があるのかどうかも検証できるだろうし、外したかった人にはようやく大義名分になるだろう。

この大義名分というやつは非常に大事で、なんでも言い訳があるのは大事だ。マスクの着用については、感染対策という建前ながら、その効用以上にコミュニケーションとしての機能が大きかったとおもう。これはマスク推奨派も反対派もある程度認めるところではないかと思うし、まさにこの点において賛否が分かれていたのではないか、という気がする。前述の記事でも書いたが、マスクがコミュニケーションとしての機能を持つ、即ち世間の風潮ないし政府の方針と同調するという意思表示となるならば、マスクをしないこと自体がこれに反対するコミュニケーションになる。ところがマスクには、当然ながら感染対策の効用も考えられているから、自身の信条表明を他人への感染に優先させるのか、というカウンターがとられてきた。この点について反対派は極めて劣勢であり、どうしたって上記のような(自分の信条を感染に優先させる)姿勢だととられざるを得ない。どうしたってマスクをした方がいいからだ。俺個人の経験でいえば、残念ながら会食によってコロナにはかかってしまったものの、マスクを始めてから一度も風邪を引いていない。それでも、政府がもういいよ、といえば外しようもあるだろう。社会的合意がそれを支えるからだ。日本はずっと、マスクについてはかなり強く我々に要請してきた。元々マスクにあまり抵抗のない国民性だし、手っ取り早かったのかもしれないが、あらゆる場面でマスクを要請されてきた手前、レストランやらの施設としても、政府の判断がないとやめようがなかっただろう。3/13以降、すぐにマスク非着用に社会的な合意が得られるかは疑問だが、ひとまず次のフェーズに進めるわけだ。

こうなってくると、一部の"目醒めた"人々お得意の「政府の犬め、自分で考えられないのか」的なカウンターが飛んできそうだが、我々は誰も疫学の専門家ではなく、素人が「自分で考えたこと」ほど怖いものはないのだから、お上に責任転嫁するのが何よりの処世術である。それに、前回の記事にも書いてあるが、俺個人はそもそもマスクを外したい!という意志には反対しない。好きにしたらいいと思っている。ただ、何度もいうようにマスクが既にコミュニケーションの機能を持っている以上、馴染まないコミュニケーションを行う者たちとの間に軋轢が発生する。「自分で考えて判断する」とはそれによって発生する結果に責任を負うことであり、自分でケツを拭けない者がすることではない。だから世の多くの人たちは、自分では拭けないケツをお上に拭かせるべく、とりあえず言う通りにしておくのが最善と判断しているわけだ。それを理解できないのか、言う通りにするのに我慢ならないのか、どうしても「自分で考えて判断」したい人たちがいるようだが、そもそもマスクを着けている人々も「自分で考えて判断」した結果そうしているわけだし、なぜ自分たちだけが脳みそを持っているという偏狭な考えになるのか疑問である。

もっとも、これらの日和見主義的な姿勢そのものへの批判はあり得るだろう。突き詰めると、自分以外の誰も自分の人生の責任は取らないのに、なぜ他人(政府)がケツを拭いてくれると思っているのか?と。なるほど、そう考えるなら好きにしてほしい。俺はそれを止めない。俺はただでさえ軋轢を生みがちな人間性からして、なるべく軋轢のない人生を生きたいと思っているし、周囲と同調することの温かさやスムースさが好きなのでそこにいるのである。これも俺が「自分で考えて判断」したことだ。

インスタ→popie0226

晴れ。最後の寒さか?こんばんは、カン・ヘリンです。

インスタに自分の写真を載せるのを解禁した。おっと、いまからフォローしにいっても無駄だ。すでに鍵垢にした。いや、分かっている。本当にどうでもいいことだと。だが俺にとっては大きなことなのだ。いま30歳くらいの年代は、ネットとの付き合い方が比較的慎重だった時代であり、ネットとは戦場であり気を緩めると命を取られるという教育をされてきた世代だと思う。完全に陽として生きてきたノロマは、それでもガンガン顔出ししたりもしているが、俺は自分の写真をネットに流すのは極めて消極的である。ネットの人格と基底現実のそれを分離させるのはオタクの得意技であり、この二つの世界は独立しながらもうっすらと重なる、独特の距離感を保ちながら自分の中で共存してきた。これらを統合させるのは、自分の現実を不特定多数に対して開くことであり、匿名の善意にも悪意にも無防備になるということだ。2chで育った俺は、ネットに個人情報をのせるやいなや無数の悪意によって身包みを剥がされ、家を焼かれ、家族を殺され、挙句、山中に埋められるという強迫観念があるし、そもそも不特定多数に開示するほど立派な見た目でもないし。

それをまあ、インスタという比較的開示しやすいフォーマットで解禁したのは、俺も32歳になり、そろそろそういう人格の分離みたいなことも卒業して、自分の世界に誇りを持とうかという気分になってきたからだ。「自分に自信を持って生きることと、ネットと現実をシームレスにすることはイコールではないだろう」と思うかもしれないが、俺から見ると、ネットに独立した人格を持っていて鬱屈としていない奴は見たことがないので、やはり現実における、個人と世界の間の歪み、摩擦がネット人格を産み落としているのだと思っている。強い摩擦を感じながらも、それでも現実を生きなければならないから、その歪なエネルギーの逃げ道を作る必要が、やはりある。逆に、ネットと現実をシームレスにすることで、翻って現実との摩擦を解消できたりしないだろうか?という考えもあるのだ。だが、いちおう言っておくと、「本当はアップしたくないけど形から入りたいからアップしよう!」としているわけではなく、本当に友達(現実もネットも問わず)に見て欲しいな、という素直な感覚が芽生えたことがまずあり、そうした気持ちに素直になろうというふうに思ったのだ。。それ自体が大いなる進歩だし、独立したネット人格をやってきたことで友達が増えた成果だというのは逆説的であり、人生は冒険だなあというシンドバッド気分なのである。