ビギナーのためのデニムジーンズの話

以前、初心者のためのメンズファッションとして、大風呂敷を広げて記事をかいた。
上から下までトータルで提案した、総論としての前回に続いて、各服種ごとの、各論的な記事も書いてみたいと思う。

まず断っておきたいのは、ファッションは多種多様であり、必ずしも決まった正解を持つわけではない。
その人その人で、ブランドの引き出しも違うし、コーディネートのルールも違う。
この記事では、あくまで俺の趣味と引き出しを前提にして書くので、いくつかのファッション誌を開いてみれば、また違った提案がなされているだろう。
これを読む人が選択するべきなのは、その人がピンときたものであり、この記事は引き出しの一つとして見てもらえばと思う。



さて、逃げを打ったところで、本題に入ろう。

そもそも「デニム」とは、インディゴ染めの綿を綾織りにした生地の名前であり、服そのものを指す言葉ではない。
一方で「ジーンズ」というのは、アメリカの作業着に端を発するカジュアルなズボンを指し、デニムでつくられていないものも存在する。

ジーンズの歴史は古く、1800年代後半、世界で最初のジーンズ(諸説あり)がつくられた。
この時の素材はコットンキャンバスであり、アメリカの炭鉱労働者のための作業着として重宝された。その後、素材はキャンバスからデニムへと変化していった。デニムの青い色はインディゴ(藍)によるものだが、これが採用されたのは虫除けであるとか怪我をした際の殺菌作用を企図したとか諸説ある。
もっとも、半世紀以上前のヴィンテージデニムでも既に本来の藍染めではなく、合成染料が用いられているため、マユツバなのだ。
日本産のジーンズで、あえて”藍染デニム”という呼称が使われることがあるが、それはこうした経緯による。


そんなジーンズだが、買った後の取扱いについては色んな人が色んなことを言っている。
よく言われるのは、「なるべく洗わないほうがいい」ということ。

ジーンズの最大の特徴として、服の経年変化、言ってしまえば「劣化」をメリットとして解釈できるという点がある。
色が落ち、生地が薄くなってもなお、それがかっこいいものとして審美性を高めるという特異な性質を持つ。
多くの(特に男性の)ジーンズ愛好家は、古いものでは50年代まで遡る、ヴィンテージジーンズに対する憧れがある。
ジーンズのかっこよさとはヴィンテージジーンズのそれであり、如何にしてこれを手に入れるかに腐心する文化が存在する。

当たり前のことだが、服を着用している際には、よく擦れる部位と、そうでもない部位があり、この摩擦の差によって、色の落ち方の濃淡がうまれる。
具体的には、膝、裾、シワとして隆起するモモの部分や膝の裏の部分と、それ以外の部分での色落ちの濃淡によって、ジーンズの格が決まる。
これとは別に、洗濯をして、水を通し、洗剤やほかの衣類との摩擦によって生じる色落ちがある。
洗濯により色落ちは、部位ごとの濃淡がなく、一様に色が薄くなっていく。このため、目指すべき濃淡が起こりにくく、イマイチな色落ちになるわけだ。
そのために、洗うにしても、他の衣類と擦れないように裏返しにしたり、色落ちにしにくい中性洗剤を使ったりという工夫が必要になる。


とはいえ、こうした色落ち神話も、言ってしまえばひとつの価値観にすぎない。あまり濃淡のない色落ちが好きな人もいるし、衛生的でないと考える人もいる。また、いい色落ちを作るからこそ、よく洗濯をし、太陽に当てることで染料や生地を日焼けさせた方がよいという意見もある。

大局的な話として、洗濯をせずに穿いた方が濃淡のある色落ちになりやすく、洗うとまんべんなく色が落ちる、ということがあるだけで、あとは好みやライフスタイルに応じて、好きなようにしたらいいと思う。



能書きはたれ終わったので、これからは、何を買ったらいいか分からないという君に、こんなのはどうかな、という提案をしようと思う。



http://www.e-levi.jp/shop/mens/501-%E3%83%AC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%EF%BC%8FCONE+MILLS+12.5oz/item/view/shop_product_id/17172

リーバイス 501 ¥12960


前回の記事では、ウンチク抜きで使いやすいものを、ということで511を紹介したが、ジーンズの始祖というとこの501というモデルになる。
この501というモデルは非常に厄介な代物である。古着好きの中には、501というたった一つのモデルを追及し、語り尽くしたいという人がたくさんいる。先日、とある古着屋が主導となって、リーバイスの501だけを語りつくす書籍が発売された。なんと10000円もする。
閑話休題
501が誕生したのは1890年といわれている。かれこれ120年超続いている、ロングセラーにもほどがあるモデルなのだ。この長い歴史の中で、同じモデルでも形は幾たびも変更され、全く違うモデルにみえるようなものもある。
色落ちしたヴィンテージジーンズの一例↓


特に三村がはいてるものは501でまちがいなさそう。大竹のはでかすぎてちょっとわからないけど。
ヴィンテージジーンズってこういうのだよね、という代物だ。膝やモモの部分とそれ以外ので濃淡がある。
大竹が着用しているものは、モモ部分に、多くの線状の色落ちが見られる。これはヒゲと呼び、いい色落ちの要素。
それで、これも同じ、501というモデル↓

これは、ヨーロッパで生産されていた501、通称EU501。
アメリカ生産や、アジア生産のものとは異なる染料を用いており、独特の色落ちをする。
シルエットも、通常の501と同じサイズでも細身につくられており、スタイリッシュな印象。
これ以外でも、生産時期が10年違うと、シルエットはもちろん、縫っている糸の種類や縫い方、各部品がちがっており、
これがコレクター魂を刺激するというものだ。

ところで、今回紹介したのは、こうした長い歴史をもった501の、最新バージョン。
最新バージョンが一番いいか、というとこれまた微妙なんだけど、いつでもどこでも買いやすいものを呈示する意義はあると思う。

少し高いかな?と感じる人にはこういうものもある


http://item.rakuten.co.jp/ueno-yayoi/501-original/

リーバイス501オリジナル ¥7300

これはアメリカ企画の、本当に半分作業着として売られているような501。いわゆる「レギュラー501」と呼ばれるものだ。
最初に紹介したものよりも、インディゴの色合いが薄く、なんとなく簡素な印象をうける。
ページを見てもらうと、幅広いサイズ展開に驚くけれど、これが、作業着として浸透していることの証でもある。
「やっぱり、リーバイス501といったらこれでしょ!」という根強いファンもいる。


501に話がよりすぎた。他のブランドのものも紹介しよう。



http://edwin-ec.jp/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=73051&q=101&brandCd=201&cateCd=001&dispNo=001001015&sort=02&type=&stock=&goods_sale_tp=&outlet_yn=&rowPerPage=

Lee 101z ¥12960

ジーンズの始祖であるリーバイスは、アメリカのネバダやカリフォルニアといった東部でシェアを拡大していった。一方で、アメリカ西部の開拓者たちをターゲットに展開したのが、このLeeというブランドだ。
ヴィンテージ市場では、リーバイスほどの人気はないものの、ジーンズやジャケットなどは高値で取引されており、コアなファンも多い。
ジェームス・ディーンやロバート・デニーロが映画で着用したこともあり、若者文化の色が強いブランド。
リーバイスでいう501が、Leeではこの101というモデル。リーバイスよりもストレート感のある、スマートな印象をうける。
細かい話だが、リーバイスとLeeでは、同じデニムでも生地の織り方が異なっており、これによって色落ちの雰囲気も変わる。

ズボンの縦方向に、雨が降るようにサーーーッと筋状に細かく色が落ちているのがわかるだろうか?
このような、縦方向の色落ちのことを「縦落ち」と呼ぶ。俺はあまり好きじゃないが、これが命!という人もいる。
Leeのジーンズはこの縦落ちが出やすく、また、リーバイスよりも気持ち滑らかな質感に思える。




http://www.apcjp.com/jpn/shop/apc/item/view/shop_product_id/16022/category_id/943/color_id/1069/category_list_id/943

アーペーセー プチスタンダード ¥19440

最初に書いたように、ジーンズのかっこよさとはヴィンテージジーンズのかっこよさのことだった。
多くのブランドがこれに肉薄しようとした時代があった。
そうではないジーンズもかっこいいということを示してくれたのがアーペーセーだ。
アーペーセーはフランスのブランドで、設立は1987年、デザイナーズブランド出身のジャン・トゥイトゥが立ち上げた。
デニム専門ブランドというわけではないが、メンズ、レディースの各シーズンのコレクションの他に、定番としてジーンズを展開している。
少し前に値上げがあり、ちょっとお高いジーンズになってしまったが、安心感のあるかっこよさだ。
アーペーセージーンズにはいくつかのモデルがある。

ストレートで、細さはあまり感じさせない、ニュースタンダード。
細身で、裾にかけて緩やかにシルエットが絞られていく、プチスタンダード。
腰・モモ周りにゆとりがあり、膝から下が強く絞られていく、プチニュースタンダード。
スキニーシルエットの、ニューキュア。

昔は、ぶっといシルエットのレスキューというのもあったけど、いつの間にか廃番になってしまった。

俺はこれまで、レスキュー、ニュースタンダードをはき、いまはプチニュースタンダードをはいている。
今回オススメするのは、細身のプチスタンダード。シルエットにクセがなく、合わせる靴やトップスを選ばない。
カジュアルでも綺麗目でも対応できる、いいモデルだと思う。
アーペーセーのデニムは、糊がしっかりとついた、未洗いの状態で売られており、生地のあまりの硬さに試着が難航するのだが、
サイズはなるだけぴったりとしたものを選んだほうがいい。試着の段階では「ボタンがしまらないのでは?」と思えるくらいがいいと思う。
というのも、ここのジーンズは、洗って糊を落とすと一気に生地が柔らかくなり、また伸びやすくなるため、試着の段階でゆとりのあるサイズを選ぶと、
後々、ベルトをいくら絞ってもゆるゆるになってしまうのだ(経験済み)。

余談だが、アーペーセージーンズを買うと、洗い方指南書のようなものが添付されている。
そこには、「一切洗わない」「ジーンズ用洗剤をつかう」「着用したまま海に飛び込む」などの洗濯方法が記されている。
先に書いたように、色落ちの濃淡は最初にどれだけ色落ちの差をつけられるかによる。ここのジーンズは特に、生地の硬さが大きくかわるため
一度柔らかくなると、なかなか色落ちさせるのが難しい。いい色落ちを目指すなら、なるべく最初は洗わずに、段ボールのような生地感を楽しもう。


色落ちの例。コントラストが非常に強く出ており、ヒゲと呼ばれる線状の色落ちもかなりくっきり出ている。
糊が付いた状態でしっかり履きこんだのだろう。タイトなサイズ選びも、こうした強い色落ちには効果的。
ちなみに俺の持ってるニュースタンダードの現状。↓


ヒゲは甘い。色落ちの濃淡はそこそこついている。割と頻繁に洗っては天日に干してるので、青みが強くなり、なんだか優しげ。
これ以上色落ちはあまりしなさそう。また機会があればお見せしたい。



http://item.rakuten.co.jp/smaclo/10008599/
http://zozo.jp/shop/bshop/goods/2083128/

オアスロウ 107 ¥18144

ヴィンテージジーンズを研究に研究を重ね、日本生産にこだわって良質な服を提案するオアスロウ。
この107というモデルは、裾に向かって細くなる形が特徴で、ストレートなジーンズよりも綺麗目に振ることができる。
足元もスニーカーはもちろん革靴との相性もよく、しっかり履きこめば色落ちも見込める。
最近はフリークスストアやBshopでも取扱いがあり、注目度の高いブランド。




http://shop.zabou.org/?pid=38936776
http://atvstore.jp/fs/atvstore/resolute/507Q7710

ゾルト 710 ¥23760

最後に紹介するのは、俺がさいきんハマってるブランド。
ヴィンテージジーンズのフォロワーとして、DENIME(ドゥニーム)という日本のブランドがある。
このブランドはこれとして、ジーンズ好きから大きな人気があるのだけど、このドゥニームを立ち上げた林 芳亨というおっさんが、
新たに立ち上げたのがこのリゾルト。
つくっているのは4種類のジーンズのみという頑固なブランドで、林本人は「リーバイス501の66モデルを参考にしている」とのこと。
66モデルというのは、1966年に生産された(実際は1971年くらいまで生産されてたらしいが)リーバイス501モデルのことで、普通の501よりも細身でかっこいいと評判。
この710というモデルは、66モデルよりかずいぶん細身で、シュっとしたシルエットになっている。
サイズの幅が広く、何種類ものウェスト、レングスサイズから選べる。これも、最初に紹介した、リーバイス501の幅広いサイズ展開を模してのこと。
さまぁ〜ずや、ダウンタウン浜田を見てもらえばわかるが、ヴィンテージ好きはやや大きめなジーンズをチョイスしがちである。
このリゾルトについては、ビッチビチのサイズで穿くことが推奨されており、裾はくるぶしにかかかどうか、くらいが良しとされている。
生地に強いこだわりを持ってつくっており、写真でわかるように、洗う内に、ジーンズ全体が強く右側へねじれてくる。

ゾルトのジーンズをはく者にはこの林本人のファンが多く、綺麗な色のシャツやカーディガンをまとい、足元は高級な革靴できめるスタイルが定着している。熱心なファンは、裾丈違いで何着も持ってるとか。俺も710を持っているが、かなり伸びてくるので、試着の段階では本当にギリギリのサイズを選ばないと、ゆるゆるになってしまいそうだ。
やや値が張る上に、丈の短さや裾幅の広さもあって、スタイリングに少し気を遣うけれど、少し慣れてくると、こんなに使えるジーンズはないという感覚がうまれてくる。今回イチオシのジーンズ。



今回のジーンズ特集は、ひとまずこんなところで幕引きとする。
「あそこのブランドがねーぞ!」とかいろいろあるかもしれないが、そう思う人はまた自分でブログ書くなりツイートするなりで
ビギナー各位へ教示したらいいと思う。
好き放題書いて楽しかったので、これを読んだ人の参考になれば一挙両得といった具合だ。

『ゴーン・ガール』

世間では「ありのままで」とかしましいが、実際にはそれを実現している試しをみることは少ない。ある理想論のようなテイさえあるようだ。

人間、そう一貫して何かを思考し判断し続けることは容易くないので、周囲の環境や人間関係から多大な影響をうけて過ごしている。その方が自然だ。
あるいは、自分自身が周囲を影響していくしかないのだが・・・


ゴーン・ガール』は、デヴィッド・フィンチャー監督、ベン・アフレックロザムンド・パイク主演。

予告編はこちら。2分超の長いもの。


日本語版


ベン・アフレックは、デアデビルに次いで、今度はバットマンになるそうで、筋肉隆々といった具合だ。
ロザムンド・パイクは007に出てたんだよね。クールな美女って役柄だったけど、今回もそういったイメージ。


あらすじを簡単に。
結婚記念日に突如として失踪した妻エイミー(ロザムンド・パイク)、彼女を探すうちに、夫ダン(ベン・アフレック)に不利な証拠や事実が次々と暴き出される。そして世間と警察は、ダンがエイミーを殺害したのではないかと疑念を抱くようになるが・・・



他人との齟齬というのは、結婚でも恋人でも同僚でも、誰かと何かことをなしていく、否、ただ一緒に過ごしていくだけでもしばしば起こるものだし、
その折衝にはなかなか骨が折れるものだ。

Aの言い分を聞いてるとBが悪いように思えるが、Bの言い分を聞いてるとなるほどAにも非があるのだなということもある。しかしてその双方とも括弧にくくって判断が要ることもある。こと夫婦関係となるや、その関係の多くは秘匿され、根深く、外野が口をはさむのは容易ではない。
ゴーン・ガール』では、妻と夫、双方の視点から様々な夫婦生活が語られるが、そのどちらが真実であったかは、実は判然としない。おそらくそれは二人にもわかっていないのだし、そういうものなのだろうと思う。


ただ、真実という寄る辺がなくても二人は関係をしなければならない。そこでは自発性と協調性による積極的な営みというよりは、ある種の力関係、弱肉強食の世知辛い関係性があったようだ。


ダンとエイミーを通じて、我々は他人と関係すること、また、自らを振る舞うことの意味と形態を再確認する。

ダンは自分自身の意思と葛藤しながらも、妻を見つけるため、心象を操作するためなどの功利を得るために、善良な人間を演じてみせたり、妻を愛するポーズをとってみせたりするし、エイミーもまた自分の功利のために器用に振る舞いを変え、人心を操ってみせる。


どれが「本当の自分」であるかなどはもはや意味を持たない。彼らを規定するのは他者との関係のありようと、それによってもたらされる功利だった。


「他人を関わることは疲れるものだし、気を遣うものだ」というのは少しペシミスティックすぎるだろうか?
自分らしく等身大に生きる、などという理想の実現には、どうしたって他人を巻き込まざるを得ないし、仮にそのように生きてみせたとして、幸せが待っているとも限らない。

自分がしたいことをするためにはどうしたって他人が邪魔になることがある。自分の振る舞いや行動が、他人との関係によって規定されるからだ。そもそも、自分がしたいことそのものだって他人から規定されているのかもしれないし、とかく自分なんて曖昧なものだ。

エゴを通すために振る舞いを変え、図々しくも華麗に生きるのもひとつの強さだろうと思う。そのために犠牲になる他人など知ったことではないと切り捨て、理想郷をつくる強さ。人間関係の規定性を逆手にとって、自らに他人を従える強さ。カリスマだ。

ところでそんなことは、俺にはとても難しい。仲が良い友達といても、3時間も経つと帰りたくなることさえある。
家に帰ってひとりでいるとほっとすることがある。誰の声も聞きたくないこともよくある。


そんな俺には、この映画は身につまされるような、ある種の息苦しさを感じる映画だった。
あの人に怒られるから、あの人に嫌われるから、あの人に文句を言われるから、あの人に、あの人にあの人にあの人にあの人にあの人にあの人に・・・
自分を取り巻き、また方向づけているものは、他人に対する不安、負い目、愛情、不信、恐怖、怒り、憐憫、憧れ。何をするかを決めるには、これだけで十分すぎるほどだ!
ドラマやアニメでは、「他人なんて関係ないぜ!」といったある破天荒さがもてやはやされがちだが、実際のところそういった輩は手におえないもので、フィクションで投影してちょうどバランスがとれるものだったりする。
作中、嘘や怒りや不安が蓄積したダンに対して、妻エイミーが言い放った終盤の一言はあまりに強烈で冷酷だった。

デヴィッド・フィンチャーといえば『セブン』も有名だけど、あれを見たときにも『ゴーン・ガール』を見たときにも、シリアスな中にもなんとなく、タチの悪い冗談みたいな雰囲気を感じた。ジョークは時に痛烈な真実を含んでいることがあるけれど。

大事なのはコミュ力云々といわれて久しいが、自分のありようの中にどうしようもなく他者が侵入していること、その窮屈さや、為す術もなくそうして生きていくしかないことの虚無感をいかに乗り越えるか、といったことの、今日的な回答なように思えた。

『クラウド・アトラス』


「あなたには関係ないでしょ」と言う人がいる。そのときには既に「関係なくなっている」ことがほとんどだ。

出会いは、面と向かって初めまして、といったものだけでない。エレベーターや交差点、テレビやパソコンの画面など、数えきれないメディアを通して、我々は日々、数えきれない他者と出会い続けている。

他者との出会いは自分を改変し、また自分との出会いが他者を改変されていく。それは小さな口癖であったり、大きな価値観の転換だったりするけれど、その出会いが連なり、交わり、時には不思議な軌跡を描くことがあるようだ。


クラウド・アトラス』は、497年におよぶ出会いと別れの物語。

予告編はこちら。

この映画は、予告編がなんだかすごく魅力的だったので見ようと思っていたのだ。6分におよぶながーい予告編もあるけれど、ペ・ドゥナがCGもりもりのSF的世界の中にいるというだけで見る価値があると思う。韓国人俳優とSF世界のマッチングが好きなのかもしれない。『ナチュラル・シティ』や『リザレクション』なんかも、その韓国人俳優がCGもりもりの中にいるという映像が好きだった。ストーリーやその他演出は・・・まぁ・・・置いといて・・・


クラウド・アトラス』は、互いに干渉し、つながっていく6つのエピソードが同時並行で進行する。また各エピソードでは、同じ俳優が特殊メイクで様々な役に転じながら演じ続けるという一風変わった手法がとられている。まるで手塚治虫の漫画みたいだ。

監督は、マトリックスシリーズのウォシャウスキー姉弟(いつにの間にか兄弟から姉弟になったらしい)と、『ラン・ローラ・ラン』や『ザ・バンク』のトム・ティクヴァ。主演はトム・ハンクスハル・ベリーペ・ドゥナジム・スタージェスなどなど。

映画を構成する6つのエピソードは以下の通り。



①1849年、奴隷貿易のための船旅に同行した弁護士(ジム・スタージェス)の物語。船旅の中で奴隷制度への疑念を抱き、妻(ペ・ドゥナ)と共に解放運動へ身を投じる。


②1931年、作曲家志望の男娼(ベン・ウィショー)の物語。強欲な作曲家に雇われながら、自身の交響曲、【クラウド・アトラス六重奏】を書きあげる。その過程で雇い主の作曲家を殺してしまい、楽譜の完成後、自身も自殺する。


③1973年、とあるジャーナリスト(ハル・ベリー)の物語。石油会社の利権を守るために画策された原発爆破を知ったジャーナリストはこれを止めるために奔走する。その中で、石油会社が雇った殺し屋と対峙する。


④2012年、金に汚く、人たらしな編集者(ブロード・ベント)の物語。ひょんなことから大儲けするが、足元をすくわれて老人ホームへ入居させられる。そこで出会った老人たちと結託して、脱出劇を画策する。


⑤2144年、給仕用に生産されているクローン人間の一体、ソンミ451(ペ・ドゥナ)の物語。徹底した管理社会、階級社会の中で、レジスタンスのひとり(ジム・スタージェス)と出会い、知られざる真実を目の当たりにしたのち、革命のために世界中へ演説をする。


⑥2321年、文明が滅びて荒廃した地球で生きる男(トム・ハンクス)の物語。先祖帰りしたように原始的な暮らしを送る彼らのもとに、滅んだ文明の科学技術を使う一族のひとり(ハル・ベリー)がやってくる。今までの暮らしと、彼女から告げられる事実との間で揺れ動きながら、地球からの移住を決意する。

6つのエピソードは、アクションあり、コメディあり、SFあり、ヒューマンドラマありと多様なジャンルが盛り込まれている。その中でも、奴隷制度、階級社会、大企業といち私人など、強者と弱者のありようは様々だが、一貫して「弱者から強者への闘争」の構図がある。
いずれの章にも悪役が登場するが、それがヒュー・グラントヒューゴ・ウィーヴィング。特にヒューゴ・ウィービングの悪役顔ったらない!マトリックスエージェント・スミスで初めて見た俺にとって、ヒューゴ・ウィービングはもう何をやらせてもエージェントスミスなのだ。悪役、徹底した悪役!こいつが出てくるだけで、「あ、これが敵だな」と思うようになっている。この映画ではなんと女装までして悪い奴を演じ切ってくれている。

また同じ俳優が演じているキャラクターは、過去のキャラクターの転生であり、同じ魂を持つ人物として設定されている。たとえばジム・スタージェスペ・ドゥナは、1849年時点で出会っており、その後2144年で再び出会い、愛を育んでいる。
各エピソードは、登場キャラクターの転生の他にも、未来のエピソードの骨子となるようなイベントが盛り込まれていて、映画自体の時系列で見ると多くの伏線が仕込まれている。あまりに複雑なのでここでいちいち個別に見ていくことはしない。詳しくは本編をみてくれ。音楽もけっこういいし、ペ・ドゥナのヌードも見られるぞ。




ところで、タイトルのクラウド・アトラスというのは、エピソード②で登場する交響曲のタイトルなのだが、クラウド(cloud)は雲や群衆、より抽象的にいえば「もくもくとした大きな何か」を意味する。アトラス(atlas)は、語源は古代ギリシャの神の名だが、今日では世界地図を意味する単語になっている。

離れては結びつき、消えては現れ、様々に形を変えながら、空を漂う雲は、時代を超えて結びつく人々の魂、その信念や愛の象徴的表現として、予告編でもタイトルの背景に用いられている。

この作品は、6つのエピソードそれぞれに目的や筋道が設定されているものの、それらはてんでバラバラで、大きな一つの物語へ収斂していくわけではない。「弱者から強者への闘争」というのも、全編を通して観賞するならば、ある方便のように感じられるのだ。
映画本編は、エピソード⑥が終わった後、トム・ハンクスが子供たちへ聞かせる昔話として幕を開け、昔話が終わったところで終劇となる。
6つのエピソードからなるこの群像劇が示したものは、時空を超える愛や信念でも、魂が抱える人間の業でもない。もっと日常的で、しかし途方もないテーマについての映画だった。

つまり、人が生きること、即ち人と出会うこと、という現象の映画だった。


人と出会うことは、それ自体は極めてニュートラルである。そこを契機として、我々は常にどこかしらを改変し、更新しながら生きていくのだし、また他人にそれを強いるものでもある。
出会いはいつだって間主観的に行われる。私が出会うのでも、彼・彼女が出会うのでもなく、私と彼・彼女が互いに出会い、また出会われる相互作用の中で関係性が構築されていく。

またこうした間主観的な出会いは、当事者の望むと望まざるとにかかわらず、あまりにも受動的に、空から雨が降ることを止められないように訪れるものだ。
すれ違ったカップルの会話、おもむろにつけたテレビ番組、何の気なしに更新したSNS、そうしたものがいつ誰かに対して影響し、関係し、その人を変えていくことか。また、それが自分の番にまわってくることか。

それだけではない。「私は私の身体を生きる」のだ。私が生きている以上はそこにある一定の空間を、自身の身体を以て占有しているし、その様子(私が生きているありさま)は、感覚的にかつ直感的にとらえられている。
私がいる場所には誰もいられないし、また私はいつだって、だれもいない場所にしか存在できない。
身体がもつこの排他性自体、人が出会うことがもたらす改変と更新、改革、変容、進化、退化、その契機として認めるに十分ではないだろうか。


おっと、少し話がそれたけれど、我々は常に誰かれに対して情報を発信し続けており、一方で莫大な量の他者からの情報を受信し続けている。その双方向の営為を出会いと呼ぶならば、この現象が私やあなたの1分先、1年先を形作っていくにきまっているのだ。

ひとりの人間がひとりきりで生きていくことは不可能だ。それは生きることの根本的な排他性、個別具体性に裏付けられており、自己はたえず他者に侵入されているし、また他者も私に侵入されている。この相互浸透の中で、辛うじて我々は、自分自身の選択と信じる何事かを成し遂げることができる。


その手助けをしてくれるのが、愛や信念の力、信仰、友愛の尊い輝き、あるいは邪な傲慢、利己的な欲望であったりする。
クラウド・アトラス』では、ほうき星のアザをもったキャラクターが、各エピソードで登場する。彼らはみな、誰かとの間で育んだ愛や信念を糧に、強大な敵に立ち向かう。その中で多くの人と出会い、変革し、また自分自身を変えてきた。

それは我々にとっても同じことだ。自分が何かをすることで、誰かを変え、また同じように誰かに変えられ、それでも自己が、確かにそこにあるような顔をして、不断の選択と、開拓を繰り返しては日々を流れていく。それはいいことでも悪いことでもないし、意味や価値を付与しようとするものでもない。私たちはそうやって生きていく、という、現象にすぎない。


ああ、途方もない邂逅よ、私を支える無数の他者、そして私が支える無数の他者たち。善き世界で出会わんことを。

初心者のためのメンズファッション

自信をもって何かを言えるというのはいいことだ。頓珍漢なことだろうとなんだろうと、自信があることそれ自体はいいことだ。


ところで俺は洋服が好きだ。これは自信をもって言えるし、だから、同好の士が増えると嬉しいし、ファッションの喜びを知って欲しいと思っている!

悲しいかな、世の男性諸氏はファッションに関心のあるものはあまり多くはないようだ・・・俺はとても悲しい。みんなもっとファッションを知って欲しい!


なぜ洋服に無関心でいるのか。「高い」「なんか難しそう」「洋服屋のハードルが高い」など理由はさまざまだけど、
お金なんかは5万も6万もかかるわけではないし、中高生でもなければなんとかなるので、大事なのは「何を買うべきか知ること」である。


少し検索をかけると、これから洋服にも気を遣ってみよう!というような男性諸氏のために様々なウェブページが用意されていることがわかる。
用語の解説や、コーディネートのポイント、どんなお店で買ったらいいかなどなど。

しかし、その多くは欺瞞であり、望むべき成果も得られないようなものばかりなのだ。
有用なサイトもあるが、有用であるが故に読み応えもあり、それなりの意欲をもって臨まないと途中で読むのをやめてしまいそうでもったいない。

そこで、俺が考える「カジュアルファッションはここから始めよう」を書いてみる次第なのだ。





洋服の画像と、その特徴を交えて紹介するけれど、その前に少し前置きをさせてほしい、これから紹介する洋服を選んだ基準について。


ファッションに正解はないとはいえ、大外れを避ける方法や、大まかな傾向といったものは確かに存在する。
メンズファッションは、レディースとは根本的に考え方が違う。


大まかにいって、メンズファッションは三つの文化的要素で成り立っている。

『ワーク(労働着)』と『ミリタリー(軍服)』と『スポーツ』だ。この三要素の混在と、少しのトレンド要素でメンズカジュアルは成り立っている。
これらの文化にちゃんと根ざした、あるいは敬意を払ったカジュアルウェアを選び、着るだけで、メンズカジュアルの基本ができあがる、と考えている。

それは、その服がどんな目的をもってデザインされ、どのようであるべきかという歴史に気を配るということだ。
だから、今回紹介したいのはどれも定番のもので、それゆえに初心者がなかなか目に触れない洋服たち。
そして、トータルでコーディネートしても外れないように選んだので、全部買って合わせて変になるということはないと思う。

もう一つ。これから紹介する洋服は、ファストファッションのそれに比べるとやや高く感じるかもしれない。しかしこれは市場規模からいって仕方のないことなのだ。分母が違うのだから、どうしたって男性の洋服は高くなる。それでもかなり買いやすい値段のものを選んだつもりなのだ。これを読んだ君が買うことで、もっと安く提供できるようになるかもしれないぞ。






リーバイス 511クラシック リンスカラー
¥11800

まずはジーンズを二つ紹介する。

だいたいの場合は、一着の洋服で下半身すべてを覆うことになるのだから、ズボン選びは慎重でなければならない。
ジーンズを初めてつくったのがこの、Levi's(リーバイス)という会社だ。
511クラシックというのはこのズボンのモデル名で、リンスカラーというのは色落ちのない、濃い紺色の状態を指している。

このジーンズの特徴は、大腿まわりが少し細くなっており、裾にかけて綺麗に形がつくられている点。
普遍性、という観点から言えば少し現代的すぎるのだけれど、昨今の細身なファッションのブームを無視するのは懐古主義すぎる。

体に張り付くような、いわゆるスキニーシルエットには抵抗のある人もいるだろうし、だれにでも似合うものではない。
しかしこの511というズボンは、細身でありながら、裾が絞られすぎていないので、上半身を必要以上に大きく見せることなく、非常にバランスのとりやすいズボンになっている。本国アメリカでも大ブームである。

色は黒もオススメだけど、まずはこのインディゴ(藍)染めのものを持っておくと万能に使えるだろう。




リーバイス 505クラシック リンスカラー
¥11800

もう一つのジーンズは、同じくリーバイスから505。511に比べてこちらの505というモデルはやや太い。太いといっても鳶職のそれのようなものではなく、いわば、ジーンズ本来の太さを保っている。しかしこの505はただ太いだけではなく、裾に向かってほんの少しだけ細くなった形になっている。
これによって、どんな靴とも相性がよく、上半身とのメリハリがつけやすくなるのだ。
511のような細身のデニムは少し苦手だ、体型の都合で余裕があったほうがいいという人にはこちらがおすすめ。





ディッキーズ WD874
¥7020

ジーンズときたら次はチノパンだ。チノパンはいろいろな選び方があるけれど、「ワーク」に敬意を払うならやはりディッキーズだろう。
チノパン自体は実はミリタリーウェアなのだが、ミリタリーのチノパンはいささか扱いにくいため、ワークへ寄せた。
素材はポリエステル65%コットン35%。とても丈夫で、洗っても洗ってもへこたれない。

ディッキーズの定番モデルは「874」というズボンなのだけど、これはその「874」を少しだけ細く、腰回りもきつめの着用感へ変更したもの。
定番のものもいいのだけど、あまりにコテコテになりすぎて使いにくいこともあるので、少し現代風にアレンジされたこのモデルがよく働いてくれると思う。
色は、黒や、アーミーチノ(ベージュ)が着回しがきく。





US ARMY ファティーグシャツ
¥4000〜5000

通販できるものについてはタイトルにハイパーリンクを貼っているけれど、基本的に洋服は試着をせずに買うことはオススメしない。
どんな洋服も、着て他人へ見せるわけなのだし、細かなサイズバランスやフィット感は試着しないではわからないからだ。
ところでこのミリタリーもののシャツは通販ができない。古着だからだ。古着通販サイトも一応は存在するが、こればっかりは自分の足で古着屋へ赴いてほしいと思う。
東京の、とは言わない。地方の古着屋でもこういったミリタリーシャツくらいは取り揃えているはずである。

多くのカジュアルブランドのみならず、ユニクロしまむらなどの量販店もモチーフにしている、メンズカジュアルの基本的なトップスの一つがこのファティーグ(作業用)シャツだ。
アメリカ陸軍の作業着であり、それ以上でもそれ以下でもない。我々が着る前は軍人が着ていたのだ。前の持ち主によってワッペンなどのカスタムなどがされているものもあるし、何もついて無い無地のものもある。好みのほうを選べばよい。ミリタリーウェアをカジュアルに持ち込んだのはジョン・レノンロバート・デニーロなのだけど、ともかくかっこいい。カラーバリエーションはほとんどなく、もっぱらこうした深緑色(オリーブグリーン)なのだけど、この色はデニムの紺色や青色、チノパンの黒などとも相性がよく、生地も丈夫かつ薄手なので様々な場面で活躍してくれるだろう。アイロンなんかかけなくてもよく、ガンガン洗ってグシャグシャとバッグにいれておけばOKなのだ。一着もっておくと便利である。





カムコ シャンブレーシャツ
¥7000〜8000

シャンブレーシャツもメンズカジュアルの定番アイテムだ。これも元はというとアメリカ海軍の作業着だったと言われている。青く染めた糸と白い糸を使っておられた生地は丈夫で軽く、使う内に色が抜けて風合いが増す。カジュアルであればほとんどのズボンと相性がよく、コートなどを着てもよく映える。一着持っておきたいシャツ。様々なブランドからつくられているが、比較的安価でかつ質実剛健なつくり、懐古主義すぎない形などを考えると、このカムコのものがよさそうだ。このブランドはチェックのネルシャツも評判がよく、アメカジ界では名のあるブランド。





ブルックスブラザーズ ボタンダウンシャツ
¥12960

襟にボタンがついたシャツのデザインをボタンダウン、あるいはポロカラーと呼ぶ。馬に乗って玉を打ち合うポロというスポーツをする際、襟が風になびくのを防ぐためにデザインされた。これは今や当たり前の意匠なのだが、初めてつくったのがこのブルックスブラザーズであり、メンズファッションの一つの”極”をなしていると言っていい。
ところでワイシャツというのはそもそもは現代の下着に近い立ち位置だった。いまわれわれがTシャツと読んでいるものは軍服がルーツであり、市井の人々は素肌にYシャツを着ていたようである。
だから、Yシャツは着丈が長い。本来はズボンの外に出して着るものではないからだ。それがシャツの「あるべき姿」である。Tシャツが普及し、シャツが下着からカジュアルウェアへ変遷する過程で、ズボンの外に出したり、ボタンを開けて着てもおかしくないように着丈が短く改良されていったという歴史がある。
今回オススメするこの白いシャツは、古き良きシャツの姿を現代に伝えるものであり、ジーンズなどの外に出して着ると少し野暮ったく見えるかもしれない。しかし、その野暮ったさこそがカジュアルのかっこよさの肝要である。堂々と裾を外に出して着てほしい。写真は古着屋の店員さんで、裾はしまってるけど、洋服の歴史に真っ向から戦いを挑んでる感じがする。
メンズファッション基本のき、白シャツ、ぜひ一着。





キャンバー アークティックサーマル グレー
¥10300

スウェットパーカーは派閥がある。端的に言って厚手派と薄手派だ。俺は厚手派なのでこれをおすすめする。おそらく市場にでているスウェットパーカのなかでトップクラスの生地の厚さである。洗ってもへこたれず、TシャツやYシャツに羽織るだけでスタイルが完成する。また裏地にサーマルが貼られてるのでかなりあったかい。パーカーを一着選べ、と言われれば俺はまよわずこれを選ぶ。サイズが大きいので180cm前後でなければSサイズでいいだろう。色はグレーがいいと思う。いままで紹介した洋服とも合わせやすい。





ジチピ コットンカシミアカーディガン
¥9504

カーディガンもさまざまなタイプがあるけれど、使いやすくかつコストパフォーマンスのいいのがこのジチピだろう。コットンカシミアでタイトなシルエット、カジュアルにもフォーマルにも使えるデザインで汎用性がたかい。色はブラックがよく、サイズはなるべくタイトな方がいいだろう。シャツはもちろん、ふらっと出かける時にTシャツに羽織ってもいい。





フィデリティ CPOジャケット
¥20520

冬のアウターは選ぶのが難しいが、とりあえずこのウールの上着をおすすめする。このCPOジャケットはアメリカ海軍の防寒着が発祥。肉厚なウール生地の防寒性は抜群で、ネイビーの色味も深く、黒に近いニュアンスで使える。ダークトーンでコーディネートすると地味になりがちだが、このジャケットは素材感が強いので、最初に紹介したズボンと合わせても地味になりすぎない。中に着こんでもよい。色はたくさんあるけど黒かネイビーがいいだろう。






ノースフェイス マウンテンパーサロフトジャケット
¥24840

高い!と思ったかもしれない。実際高い。これはダウンジャケットでもレザージャケットでもなく、フリースだ。ユニクロで10分の1の価格で買えるあのフリース。
しかし!これは本当に素晴らしい。アウトドアの高級ブランド、ノースフェイスのパフォーマンスがぞんぶんに堪能できる。体にフィットするシルエットと上等な素材は着ているとそれだけで体がポカポカしてくる。アウトドアの流儀では、一番上にナイロンの防風性のあるアウターを着て、その下に保温性のあるフリースを着る。それにならって、たとえば上のウールジャケットの下にこのフリースを着ると、かなりの寒さにも耐えられると思う。
確かに高い。簡単には手が出ないかもしれないが、いままで買った洋服で、金を積んだ甲斐があったとはっきり思えた洋服の一つ。





ヘインズ ジャパンフィット VネックTシャツ
¥2484

Tシャツの定番ブランド、というのは沢山あるけれど、ヘインズはその中でも最も有名かもしれない。
もともとはアメリカのブランドで、アメリカ人の体格に合わせてつくっているのでとても大きいTシャツだった。
それが今年、ジャパンフィットの名のもとに、日本人の体格に合う形に作り直された。
着丈や身幅を小さくし、一回洗いをかけることで風合いよく仕上げた。
クルーネックやUネックもあるけれど、Vネックはシャツのインナーでも1枚で着てもサマになりやすいので、これをおすすめする。
これはパック入りで販売されているので試着ができない。
サイズは、175cm75kgややがっしりめの俺でLサイズなので、だいたいの人はMサイズ、背の低めなひとはSサイズがいいだろう。
夏以外のインナーはすべてこれでいいだろう。





セントジェームズ ピリアック
¥6000〜7000

在庫がそろってる通販サイトが見つからなったのでリンクはなし。セントジェームズの公式通販を貼っておく。http://www.shop-st-james.jp/index.html

柄ものの洋服で数少ない、普遍的なカジュアルウェアの地位を確立しているセントジェームズ。長そでで厚手のコットンでつくられたウェッソンが有名だが、薄手の半袖のこのピリアックというモデルも見逃せない。夏場、無地のTシャツでは物足りない、透けるのはいやだという場合はこのボーダーTシャツを着てほしい。シャツのインナーにも使えるので、ミリタリーウェアの中に仕込んで洒落ものを気取ってもいいだろう。広めにあいた首元やボーダーの間隔は唯一無二。いくら模倣品が出ても、このオリジナルのバランスは独特のかっこよさがある。


最後に靴を二種類。





コンバース オールスターJ ナチュラル
¥10800

一足目はスニーカー。やはりコンバースオールスターは定番中の定番である。今回選んだのは、ただのオールスターではなく、日本で生産された、オールスターJというモデル。普通の5000円くらいのオールスターより形が少し細身になっており、周りに差をつけられる。また、このナチュラルというカラーは何気にこの日本製のモデルにしかないカラーバリエーションで、デニムとの相性が抜群。同系色のズボンとも相性がよく、コーディネートをグレードアップしてくれる。少し高いが、いつまで生産されるものなのかわからないので、あるうちに買っておくことを強くおすすめする。





ダナー マナワ
¥31320

高い上になかなか手に入らないのだけど、アマゾンにあるくらいだから大丈夫だろう。
ダナーはもともと登山靴で有名になったのだけど、こういうトラッドな革靴もつくっている。
このマナワはあまり有名なモデルではないのだけど、丸みを帯びたシルエット、やや厚めなソールでどんな格好にも合う。
似ている靴ではレッドウィングのベックマンがあるが、ローカットでこういう形のものは、実はありそうでなかなか見つからない。
本格的なレザーシューズとしては決して高くないので、ぜひ一足手にしてほしい。俺は茶色を持ってるけれど、今回紹介した洋服には黒を買っておくと都合がいいと思う。



今回は以上だ。
トータルでコーディネートできるラインナップなので、これをそろえてもらうだけで、無難かつ、周りより一つ頭ぬけたワードローブが出来ると思う。
レッツファッション!

『(500)日のサマー』

餅は餅屋、という言葉が好きだ。なんでもちゃんとわかってる人に聞いた方が、任せたほうがいい。その方が確実だし手早く片が付くのだ。


ところで俺は映画好きではない。だから、「いい映画」のことはよく知らないし、どんなものが有名なのかというのも知らない。

俺が、「この人は映画が好きなんだ、少なくともたくさん見てきて、語るべき語彙を蓄えてるんだなぁ」と感じた人に一番よかった映画を聞いたところ、教えてもらったのが(500)日のサマーだった。

主演はジョセフ・ゴードン=レヴィット。個人的には『ダークナイトライジング』での印象が強い(いかに映画を見てないかが分かる)。なんとなく物腰柔らかそうな顔だしすごく好き。ヒロインのサマーを演じるのはズーイー・デシャネル。誰だこれ?と思ったけど『あの頃ペニーレインと』に出てたんだね。知らなかった。

監督はマーク・ウェブ。グリーン・デイやグッドシャーロット、ダニエル・パウターマイケミカルロマンス、ファーギーなど、名だたるアーティストのミュージックビデオを監督したのち、この(500)日のサマーで映画監督デビュー。スマッシュヒットを記録し、最近では『アメイジングスパイダーマン』シリーズを監督した。


予告編はこちら。


印象的に使用されている音楽はThe Temper TrapのSweet Disposition。


このイントロってこの映画のおかげで決定的なイメージ付けをされたんじゃないかしら。
それはともかく、ミュージックビデオを撮り続けた監督だけに(?)BGM選択は通好み。JGR演じるトムと、ズーイー・デシャネル演じるサマーの関係が始まるきっかけがザ・スミスというのも渋い。アメリカでもザ・スミスなんて古臭くていわゆるサブカルこじらせみたいな奴しか聴いてないんだろうか?


あらすじはこう。

建築の勉強をしつつ、グリーティングカード会社に勤めていたトムは、社長のアシスタントとして入社してきたサマーと出会い、「私もスミスが好き」と言われたことをきっかけにゾッコンに。デート、キス、セックスと二人の関係は深まっていくが、サマーはいつまでも「私たちは友達で、真剣に交際する気はない」という姿勢を崩さない。”運命の恋”を信じるトムは、サマーとの関係を妥協しながらも不満を持っていた。
サマーのホームパーティーに呼ばれたトムは、そこでサマーが、自分にあまり真剣に取り合わないどころか、薬指にエンゲージリングをしているのを見てしまう。
しばらくしてから、自分でない男と結婚したサマーと再会するトム。「運命の恋はある。あなたは正しかったわ。私とあなたは運命じゃなかっただけ」とすっかり考えの変わったサマー。トムはグリーティングカード会社をやめ、夢だった建築関係の仕事をするために職探しをする。その最中で一人の女性と出会い、「全ては偶然なのだ」と考えを改めたところで物語は幕を閉じる。


とにもかくにもジョセフ・ゴードン=レヴィット非モテ演技が最高だった。作中でトムがモテない童貞野郎だなんて描写はいちども出てこないけれど、はっきりしない色の洋服ばかり着て、かっこつけで、意固地で、弱腰で、たまにエモーショナル。一方でサマーはいちいちオシャレ。中間色を着るのでも、トムみたいな優柔不断さを感じさせない。サマーのいる場所に世界のピントが合わさるような存在、ひとつの極となるような存在としてサマーはそこにいた。

トムは是が非でもサマーを自分のものにしたかった!けれどするりするりと手元から逃れるサマー。何を考えてるのかわからない。挙句に知らない男と結婚・・・いったい自分はなんなんだ・・・死のう・・・とならずに次の女性をちゃんと見つけられたのえらい。




この作品には、本編に登場しない謎のおじさんによるナレーションが入っている。これは大事なことだと思う。ナレーターは誰なのか、その視点はどこなのか。
ナレーションでは次のようなことが語られる。

「サマーがバスに乗ると全員がそちらを見たり、サマーが入ったレジに行列ができたりする”サマー現象”は男性ならだれでも経験するものだ」「これは男と女が出会う物語だが、恋物語ではない」

ナレーションは、視点のメタ化、物語の対象化、観客を作品に入り込ませるというよりむしろ、見る側と見せる側の峻別をより強調するものなように思う。ナレーターは基本的に、物語にとっては全てを知り、語ることのできる、神のような立ち位置にある。ナレーターがいるということは、少なくとも我々は登場人物の誰かになりきることはもとめられていないということだ。


この映画の大きな魅力として、トムの空想を現実のシーンに挿入してみたり、周囲の人々と喜びの乱舞を繰り広げたり、街がモノクロになったりといった、各所にみられるフィクショナルな演出がある。
特に、作品の進行が、196日目→3日目→56日目・・・みたいにツギハギになっている点は重要だ。当然ながら実生活の時間軸は直線的なものなので、映画の進行のようには進まない。先がわからなず、不確定要素だらけなのだ。(500)日のサマーが、パッチワーク状に物語を構成しているということは、つまり、この物語は初めからケリがついていて、カタストロフィックなどんでん返しや、涙腺決壊のクライマックス!といったものは企図されていないわけだ。

ナレーションを含めた、こうした、実生活の暮らしようにどこまでもそぐわないような演出は、物語をどんどんファンタジー化していく。おとぎ話になっていく。感情移入や、リアリティの付与といったものからは遠ざかるように見える。しかし、不思議なことに、それがかえってリアリティを高め、物語の説得力を高めていくという逆説がある。これが重要だ。


モテキを見た後にこの映画を見たから、というわけではないけれど、漫画じみた演出は恋愛映画と相性がいいのかもしれない。
恋愛というコンテンツが基本的に、経験的に語られるなら、これを題材にしたときには共感を喚起することが重要になってくる。自身の身体に根差さない恋愛はどうも収まりが悪いだろうし、恋愛という概念の具体像は、論文や写真ではなく不可逆の時間であり、それによってもたらされた体験である。

映画に共感するということは、観賞者側にとっては自分の体験、記憶を引っ張り出して再び光を当てるわけだから、そこには具体性がある。しかもその具体性たるや、私の身体は私でしか生きられない、というような次元での、並々ならぬ個別性を伴った具体性である。つまり、基本的には共感というのは、「この私にしかわからない」という類のものだ。他の人も自分と同じように感じているらしいことを認めたとしても、共感の素地は徹頭徹尾、自分自身固有の記憶なのだから、同じ恋愛映画をみて、はー共感できるねー!と言ってみてもそれは理念的な敷衍にすぎないということだ。


少し脱線した。ともかく恋愛作品の物語は、共感が重要になってくるわけだから、だれも分からないようなシチュエーションを選んで、これはこうでこういう風に素敵なんだと説明しても仕方ない。かといって、あまりに具体的であっては、不特定多数の観賞には耐えられない。

そこでクリエイターたちは、具体と抽象の間でどこに着地するかを考えるわけだけど、ひとつには設定で気を引くパターン。奇抜な設定の中にありがちなシチュエーションを落とし込むやり方があると思う。
観客の個別の体験を複数の登場人物の中で鏡合わせのように反射させ、増幅させ続けて楽しませるやり方があると思う。観客は自分の記憶の断片を作品のそこここに見出して、ある意味では自分と自分の間で葛藤し、快楽を得る。そういう作品は、あらすじを語るだけで面白い。気を引ける。見たくなる。ある意味では体験を言語のレイヤーで表現しようとしているのかもしれない。

もう一つは、これが(500)日のサマーのやり方なんだけど、恋愛における過剰さを掬いとる方法。恋愛が、自分以外の世界中の人間のうちのたった一人(あるいはごくわずか)との間で起こることな以上、そこには他の関係では存在しえない過剰さがある。
その人と話せて”特別に”嬉しいとか、キスができて”この上ないほど”幸せだ、とか。
そうした過剰さは、日常生活ではなかなか表現しきれない。気持ちの高揚が語彙を追い越すからだ。この、日常的な表現の限界を越えた感情の余剰分を表現する際には、たとえその形式がリアリティを欠いていても、鑑賞者に届くころには、もの言わぬ表情での演技や一筋二筋の涙よりもずっと現実味をもつものなっている。

誰も女の子と仲良くなって路上で踊り出したりはしないけれど、あのダンスシーンは、たとえば彼が同じ場所で小さくガッツポーズしてみせるよりもはるかに共感できるし、言ってよければ現実味がある。


モテキも、後者を採用した作品だろうと思う。複数の女性に言い寄られた非モテ男というシチュエーションは、一見すると前者なようだけど、少なくとも映画版では、長澤まさみというミューズを前にした森山未來の過剰さをあの手この手でこれでもかと表現しつくした作品だった。

こうした過剰さの表現には音楽が欠かせない。音楽は映像よりも遥かに情動に働きかけやすい。もしかしたら音楽の起源からして、語彙が持て余した感情の過剰さを表出するための方策だったのかもしれない(適当)。


そこへくると、(500)日のサマーは言うことなしだ。ザ・スミスのセピア色な歌声が記憶を呼び覚まして、テンパートラップのイントロがそれを加速させる。まるで夢物語だし、映像、音楽のすべてが妄想の中みたいにごちゃまぜになって、サマーの顔が乱反射するのだけど、それはむしろ恋愛という題材の中では、妥当性をもった表現ということになる。


ここでドストエフスキーを出すのは場違いなのだけど、『地下室の手記』の冒頭で、ドストエフスキーは「これからロシアの多く現れるであろう、ごくありふれた人物を描いた」と述べている。極めて具体的で、ほかでもないこの人物でありながら、それは他のどんな人でもありえるような存在が、『地下室の手記』の主人公であった。

こうした具体にして抽象の存在はしばしば見る者の胸を打つ。それがサマーでありトムだった。ナレーターが冒頭で「サマー現象は男性ならだれでも経験する」というのはこのことだったし、みんなトムのように恋をしていく。




最後に少しだけ物語内容について。

肝心のサマーだけど、あれ女性がみたら「自分も男性に対してこうする気持ちわかる」って思うのかな。いるよねああいう女性、つらくなるからやめてほしい!で、結婚したらコロっと意見かわるんだよな。クソ女サマー。

1日目と500日目で、トムとサマーの恋についての意見は正反対になるんだけど、きっとサマーがいう「運命の恋」とトムが信じていたそれは違うだろうし、トムも一種の諦観から「偶然しかない」って考えになったわけではないと思う。お互いに、ひとつ違うレイヤーに移動した。二人とも「あの頃は・・・」と500日を思い出にした。
これはアイロニックな転倒が起こったわけではなくて、新しい状況に立たされた時の適応のための反応であったろうし、どちらが正しいというわけでもない。

運命の恋がどうのこうのっていうのは、この作品のメッセージめいて見えるけれど、むしろメッセージ性を脱臭するためのオチ、みたいなものなんだと思う。漫才だって「いい加減にしなさい、どうもありがとうございましたー」のためのボケは一番つまらないものだ。


映画でもなんでも、「何が語られているか」に主眼をおいて観賞するとその魅力を取り逃がすことは多い。もちろん物語内容がアイキャッチになり、語られるものになることはよくわかる。だが(500)日のサマーは、たぶん、画期的な物語だから評価されたわけではない。というか恋愛映画ってだいたいそうなんじゃないかな。
だから、俺はサマーにめちゃくちゃイライラしてぶっとばしたくなったことも、そういう苛立ち自体が俺のよくないところなんだよなっていうことも、飲み込もうと思う。

1600watchコーディネート

タイメックスとj.crewの紹介をした記事に続いて、これらの時計をどうやって着けていこうかと考えているので、その例を披露させていただきたく。

まずはベーシックに、直球に。


シャツ:j.crew
ボトム:リゾル
靴:ダナー

ゾルトはテーパード気味で裾が短く、すごく今っぽいシルエットがだせる。茶色の靴と合わせてハイトーンなシャツとバランスをとり、時計とも何気なく合わせている!


次。春だからこういうのもいいかもしれない。


シャツ:j.crew
ボトム:リーバイス501(used)
靴:ニューバランス993
ニットキャップ:ビームスプラス

時計はウィークエンダー。この時計はバンドが付け替えられるため、色んなカラーを楽しむことができる。こういったナイロンバンドは単品で色んな所で売っており、ひとつ1000〜3000円くらい。
ホワイトジーンズにチェックシャツで爽やかボーイ。靴と帽子でトーンを落として、時計のオレンジを挿し込んだ。ニットキャップはリネンとコットンの混紡なので快適。



こういう風な優等生な合わせ方もいいんだけど、もっとラギッドな恰好に合わせるのもかっこいいと思う。


ベスト:ブラウンズビーチ
インナー:軍物のヘンリーネックTシャツ
ボトム:LVC606ブラック
靴:レッドウィング

ブラックベース、ヘンリーネックにベストの男気コーディネートに品のあるレザーウォッチを合わせたときの時計の違和感がすごく好き。自分で言ってら。


次。


アウター:軍物のタンカースジャケット(古着)
インナー:古着
ボトム:フィグベル
靴:ハソーン

ジーパン、Tシャツ、ミリタリージャケットの所ジョージよろしくな鉄板コーディネート。汗臭くてたまったもんじゃないけれど、これに合わせる時計となるとミリタリーウォッチではごりごりすぎるし、シルバーの時計も光りすぎる。1600ウォッチが抜けをつくってくれるように思える。



とりあえず四つ紹介してみた。

けっこう使える時計でしょ??いいでしょうへへへへ

j.crew × timex 1600watch

ファーストリテイリング(ユニクロ)がj.crewを買収するかも?という不穏なニュースがあった。

http://toyokeizai.net/articles/-/32297?display=b

j.crewは近年目覚ましい発展をしており、日本再上陸も時間の問題なのでは、なんて考えていたのだけど、記事にあるようにユニクロが買って何かいいことがあるとは思えないし、なんとなく不安なので立ち消えになって欲しいと思っている。



そもそもj.crewは、俺の記憶ではそんなにオシャレなブランドではなかった。おっさんがきてるブレザーの裏側でよく見た名前だよなぁ、なんて(今思えばこれはJ.PRESSの間違いかもしれない)。

ところがここ4〜5年だろうか?日本の感度が高いセレクトショップでちょこちょこと取り扱われるようになったな?と思えばたちまち世界中で大人気、ノリにノッてるブランドになった。

以前は、表参道のソフトバンクストアがあるあたりに路面店があったらしいのだが、撤退。入手困難となっていた(そもそも誰も欲しいとは思ってなかった)のだけど、再びその姿を見せた時には、こんな洋服が欲しかったと思えるようなブランドになっていた。

まずは高品質で低価格な点。低価格といっても、シャツ1枚で9000円超。H&Mやユニクロよりははるかに高値なのだが、その品質はファストファッションのレイヤーから逸脱しており、百貨店クラスの視点で見るならば、むしろ「これで10000円をきるのか!」と思える商品になっている。

ベーシックかつ新鮮さのあるデザインも魅力だ。例えばシャツに1枚見ると、丈は決して短めではない。しかしタックアウトをしてボトムとの不協和が起こることもなく、かえってクラシックさがアクセントになる、非常にいいバランスでサイズどりがされている。そしてチェックやストライプの柄や生地感は、ありそうでなかった組み合わせやパターンを用いており、トータルでは決して古臭さを感じさせない仕上がりになっているのだ。



そんなj.crewだけど、色んなブランドとコラボ商品を出している。リーバイス、オールデンやナイキ、レッドウィング等。中でもタイメックスとのコラボウォッチは、ニューバランスあたりとならんで知名度が高い。



タイメックスはデイリーユースに最適な時計を安価で提供するアメリカのブランド。ミリタリーウォッチやスポーツウォッチをメインに、ビジネスでもカジュアルでも、ワードローブにすぐ馴染むデザインの時計たちはいくつか持っておいて損はない。

j.crew自体に時計や靴づくりのノウハウがあるのかないのかは不明だが、j.crewの名前を冠した靴や腕時計はコラボものしか存在しない。
出来上がった品物を見るに、各ブランドにラインナップされているモデルをもとにカスタムしたようなデザインになっている。いま上に出した画像のものであれば、たとえばキャンパー(下1枚目)やウィークエンダー(下2枚目)なんかが元になっているのだろう。なおウィークエンダーは俺の私物。



ダイバーウォッチの方に関してはカレイドスコープだろうか。


いま紹介した三つの時計はどれも5000〜8000円くらいで買えるきわめてリーズナブルなもの。j.crewコラボのものになると2〜3万ほどになる。


で、今回俺が購入したのは、おそらくイージーリーダーをベースにしたのであろう、1600watch



こちらが元になってるイージーリーダー


変更点?は、バンドが型押しになってること、文字盤フレームの大きさの変更、文字盤の色、フォントの変更などがある。1600watchに限らず、ほかのタイメックスコラボウォッチに言えることだが、文字盤フレームを、タイメックス現行のピカピカのものから、ツヤ消しの渋いものに変更されている点がすごく気に入っている。よく見てもらうとわかるが、この違いはすごく大きい。

そもそもこの時計を買おうと思ったのは、アンティークウォッチへの憧れからだ。

以前はオメガやIWCなんかの、レザーバンドで金ぴかフレームの腕時計なんか、ジジイが死に際につけるもんだとばかり思って見向きもしなかったのだけど、最近妙に気になっていた。

ダサかっこいいというか、いやむしろストレートにかっこいいのでは?と思うようになってきた。いままではミリタリーウォッチばかりつけてたのだけど、そもそも恰好がいかついからミリタリーウォッチを付けると本職の人みたいになってしまうし、ボリュームがありすぎるのでスマートなものが欲しいと思っていたというのもあるけれど、とにかくこの手のオールド感のある時計が欲しくなっていた。

とはいえ、アンティークウォッチは高額だし、手巻きなら世話が焼けるし、第一オンボロで機能的じゃない。
そこで見つけたのがこの1600ウォッチ。海外から取り寄せてもらって購入した。箱にはvintage collectionの文字が。


ヴィンテージ風とはいえ、ちゃんとクォーツだから手間もかからず、軽く、着け心地もいい。革はまだ硬いがこれから柔らかくなるだろう。




少し長くなったのでひとまず。